ランニングスタートで日々前進

日課の早朝ランニング、運動と健康管理、詩や芸能、
日々気のついた出来事を記しています。
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詩「大地」
 真夜中すぎてまだ目を覚ましている。

 「風」「夢」「瓦礫」ということばが脳裡に浮かび、旋律をかな
でて、久しぶりに詩ができた。

 まだ推敲の余地があるが、とりあえず日記に、できたばかりの詩
「大地」(「エール」から題名を変更)を書きとめておく。

   *   *   *

   大地
             堀場康一


風が吹きわたり
大空に消えていく
夢は流されても
けっして消えることはない
虚無が夜明けの岸壁を駆けて
希望の入り口にさしかかる
時代(とき)がめぐりきて
おだやかに町を包む

夢は瓦礫を越え
小舟を漕いで大海をめざす
行く先は遠くかすんで見えるが
おそれるに足らず
だれもあざけたりしないし
だれも押し止めたりしない
すべての暗闇を人々は通り抜けてきたから
すべての光明が人々を待ち受けているから

ぼくらの務めはほかでもない
目を覚まし立ち上がり
閉じた空間から出て世界と交わることだ
ひらけた地平にあらたに彫刻を作ることだ
むずかしいことが多いけれど
いつか明日の扉を開いて
思い切り笑顔で飛び跳ねよう
生きている大地にエールを送るために


・付記(2011.8.29)
2011年8月28日 初稿。詩の最初の題名は「エール」。
2011年8月29日 全体を修正し改稿。詩の題名を「大地」に変更。

   *   *   *
| 詩とその周辺 | 01:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
金子みすゞの虚無は絶望ではない。金子みすゞを擁護する。
 けさは6時過ぎランニング開始。

 連続ランニング503日目。(2010年3月7日から数えて)

 以前日記で触れたが、比叡山の千日回峰行のような荒行に比べた
ら、ぼくの毎朝のランニングなどたわいのないものかもしれない。

 とはいえ、継続することに意義がある。日々走り続けるのみだ。

 さて、けさは豊岡通経由で瑞穂公園へ行った。

 学校が夏休みに入って、朝のトレーニングだろうか。途中で中学
生(たぶん)の一団が次々に走ってくるのに出くわした。

 たどり着いた瑞穂公園で日比野寛先生像に挨拶して、野球場へ向
かう。この野球場ではいま高校野球の愛知県大会が行われている。
野球場前の広場で子供たちが朝のラジオ体操をしていた。こういう
子供たちの風景に出合うと、本当に夏休みが来たと思う。

 両足の調子がかなり回復してきたことを感じつつ、帰途に着いた。

 この調子で、暑い夏を乗り切りたいものだ。

   *   *   *

 先々週、7月4日の中日新聞・夕刊に尾形明子さんの評論「金子
みすゞの虚無」が掲載されていた。

 中日新聞の文化欄は大体ざっと目を通すようにしているが、久し
ぶりに興味深く読ませていただいた。

 金子みすゞの詩をいくつか引用し、金子みすゞのいわば不幸な生
い立ちに触れながら、いまや有名になった金子みすゞの詩に含まれ
る「底知れない怖さと虚無」について、くりかえし説明がなされて
いる。

 金子みすゞの生涯は、彼女と同郷の河久子さんの心血注いだ遺
作『北浦のおなご みすゞ哀歌』(作品社、2005年発行)にく
わしい。

 この本『北浦のおなご みすゞ哀歌』を読みはじめたとき、あた
かも金子みすゞ自身が語りかけているかのようで、ひどく衝撃を受
けて、ひとまず本を閉じた。それから再び本を開いて読みすすむの
に、長期間の猶予が必要だったのを覚えている。

 そのとき受けた衝撃を思い起こしながら、尾形明子さんの「金子
みすゞの虚無」を読みすすんだ。

 読み終えて、尾形明子さんはここでは文芸評論家として振舞って
いて、金子みすゞのような詩人でも、詩を味わい楽しむ読者でもな
いような気がした。

 こう書くと少々言いすぎかも知れないが、ぼくには、尾形さんが
金子みすゞに寄り添いつつ、未来を垣間見るのでなく、一人の傍観
者のように思えたものだ。

 詩人にとって「虚無」は必ずしも怖いものではない。よくある題
材の一つといってよい。

 同様に、詩の読者にとっても「虚無」は必ずしも怖いものではな
い。たとえば、こういう虚無的な詩もあるんだ、という感覚で読者
に迎えられるかもしれない。

 ぼくにとって金子みすゞの「虚無」は絶望でなく、希望への入り
口のような気がしている。絶望は虚無よりもっともっと底が深く、
ざらついていて、生々しいものだ。

 ぼくは金子みすゞが「国民的詩人」だと思ったことは一度もない
が、「国民的詩人」と名づけたい人がいれば、それはそれでいいと
思う。それを拒否する理由はぼくにはない。

 詩の作者と詩の読者(鑑賞者)は、まったく別人である。

 金子みすゞの詩をどのように受け取り、どのように感じるかは、
その読者の自由であり、読者の裁量にまかされている。

 その一方で、金子みすゞの詩をどのように受け取り、どのように
感じるかは、読者のおかれた立場・状況に左右されるだろう。

 金子みすゞの「見えない闇、影の部分」について、上述の『北浦
のおなご みすゞ哀歌』の末尾「解説」で、青木健さんが触れてい
る(同書、169頁参照)。

 尾形明子さんのいう「底知れない怖さと虚無」と、青木健さんが
指摘している「見えない闇、影の部分」は、おそらくつながってい
ると思われる。

 そして、ぼくは、その怖さ・虚無・闇・影の向こうに希望の光が
さしていると考える。

 残念なことに、金子みすゞは、愛児を残して二十六歳で自ら命を
絶ったが、彼女はそこに絶望だけを見ていたのでないと思う。何ら
かの希望へと、いのちをつないだのだと思いたい。

 『北浦のおなご みすゞ哀歌』の「後記」のなかの著者、河
久子さんの文章を引用させていただく。

 「みすゞの詩は森羅万象におよび、どの詩にも、ものの命の尊さ
や哀れ、はかなさが深く強く込められていることは、わたしの人生
の目標である命の尊さとの共感、まさに魂をゆさぶられる思いがし
た。」(同書、156頁参照)

 金子みすゞの虚無は絶望ではない。希望への入り口である。

 これまであまり考えたことがなかったが、ぼくは、金子みすゞの
虚無を擁護する。金子みすゞの詩を擁護する。


関連リンク

河久子著『北浦のおなご みすゞ哀歌』作品社、2005年
| 詩とその周辺 | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「ラブソングは止まらない」と「愛が哀しいから」
 この頃音楽にうとくなったみたいだ。

 とくに十代や二十代の人たちが歌う曲があまりぴんと来ない。

 求めるものがちがうのかもしれない。

 ぼくが贅沢すぎるのかもしれない。

 しかるに、だだくさに生きることと贅沢に生きることとは、まっ
たく別の範疇に入る。

 だだくさなのは気分がよくないが、音楽に対して贅沢であること
はそれはそれで一つのあり方かもしれない。

 とはいえ、十代や二十代の人たちがうたう歌をただ聞き流すだけ
ではものさびしい。もう少し、聞き耳を立てて曲を聴いてはどうか
と思う。

 そういうふうに少し方向を変えて、ラジオのながら族としてラジ
オに耳を傾けよう。

 以前日記に書いたことがあるが、ぼくの詩のテーマの一つはラブ
ソング(恋歌)である。

 自分の詩はしばらく書けないが、たまたま店頭で見つけたCDに
入っていた曲に惹かれた。

 そのCD、今井美樹さんのシングル『ホントの気持ち』(2003年
7月30日発売)には、「ホントの気持ち」「ラブソングは止まらな
い」「PRISM」の三曲が収録されている。

 このうちの「ラブソングは止まらない」(作詞・作曲は布袋寅泰
さん)が軽い感じで、リズミカルで、なんとなく気に入っている。

 まさにラブソングそのもの。こういう曲がおおらかに歌えるのは、
今井美樹さん自身、精神的に落ち着いているからかも、と思った。

 ラブソングといえば、もう一つ。

 テレビドラマ『モンスターペアレント』(フジテレビ系列、2008
年7〜9月放映)の主題歌「愛が哀しいから」がときに思い浮かぶ。

 徳永英明さんが歌っている(山田ひろし作詞・徳永英明作曲)。

 この徳永英明さんの歌「愛が哀しいから」と、米倉涼子さん演じ
る弁護士・高村樹季の雰囲気が微妙に重なり合っていたのを覚えて
いる。

 愛は哀しいけれど、ラブソングは止まらない。

 というところかもしれない。

 ぼくはいま詩が書けないが、書けないというのはけっこうしんど
い。

 が、あきらめてもしようがない。あきらめるわけにはいかない。

 いつか詩の最初の一行が浮かぶことを期待して、

 だいぶ暑くなってきたが、

 いつものように早朝ランニングを続けるとしよう。


関連リンク

今井美樹さん「ラブソングは止まらない」(YouTube)
徳永英明さん「愛が哀しいから」(YouTube)
| 詩とその周辺 | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
深夜便のうた「涙なんだ」
 NHKラジオを聞いていたら、深夜便のうた、宇崎竜童さん歌う
「涙なんだ」(阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲)が流れていた。

 ゆったりとしたメロディーで、心がおだやかになる歌だと思う。

 ずっと「なみだ、なみだ」という曲だと思い込んでいた。

 人生は「なみだ、なみだ」かもしれないと思った。

 つい最近、曲名は「涙なんだ」ということを知った。

 「なみだ、なみだ」ではなかった。

 「なみだ、なみだ」では少々しつこいかもしれない。

 「涙なんだ」のほうが、けじめがついて、すっきりしているかも
しれない。

 かなしみはいつも自分とともにあるにしても、涙を流してばかり
いられない。

 涙を拭き、涙をかわかし、さっぱりとして、前を向いて生きてい
きたいものだ。


関連リンク

NHK ラジオ深夜便
| 詩とその周辺 | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
詩「シマウマの夢」。シマウマ書房でのトークイベント。
 けさは6時過ぎランニング開始。瑞穂公園から田辺通、坂を上っ
て東山荘入口、坂を下って向田橋、瑞穂区役所経由で、40分弱の
ランニング。

 空模様はあやしかったが、どうやら雨は降らずにすんだ。

 毎年参加申込みをしている名古屋シティマラソン(11月23日
開催)は、9月3日(たった3日)で全種目の参加受付が終了し、
今年の参加はあきらめた。

 ちょっとさびしいけれど仕様がない。ほかのレースをさがして走
るよりほかにない。

 ところで先週土曜日(9月11日)に、久しぶりに名古屋を訪れ
た友人について、地下鉄・本山駅近くの古書店 シマウマ書房へ出
かけ、トークイベントに参加した。

 詩人 八木幹夫さんを講師に迎えた、「詩人・辻征夫さんの思い
出」と題されたトークショーだった。

 辻征夫さんは十年前に亡くなられたとのこと。ぼくはあまり知ら
なかったが、八木幹夫さんの味わい深い語りと詩の朗読を通じて、
辻征夫さんのことはもとより、詩の鑑賞や詩の作法など参考になる
ことを多く学ぶことができた。また詩を書くヒントも得られたよう
な気がした。

 このまえ詩の朗読会(ぐるぐる詩の輪)に参加したのが2007
年4月。それ以来詩の集まりには一度も参加していないので、久し
ぶりに陽の当たるところへ出たような気分だった。

 その余韻が残っていたのか、きのう夕食のあと「シマウマ」がな
んとなく頭にひらめいた。詩が書けそうな気がして詩を書き始め、
一日足らずで書き上げた。

 できたての詩「シマウマの夢」を書きおく。

   *   *   *

   シマウマの夢
                堀場康一


気象台もあきれるほど残暑のつづく九月の土曜日
本山の古書店 シマウマ書房に友と出かけた
シマウマ書房にシマウマはいなかったが
Y先生を慕う人々がいずこからともなく集い
地上から日の差し込む半地下の
あまたの古書本棚に囲まれた一室で
シマウマのように首を長くして
Y先生の文学トークに聞き入った
いまは亡き詩人T氏への共感と愛惜に満ちたお話は
フルコースのように味わい深いものだった

黒と緑と灰色の横縞のTシャツを着たぼくは
はじめて聞く話ばかりだったが
いつしかシマウマ気分にひたり
シマウマの鳴き方はどんなだろうとか
シマウマの好物や趣味はなんだろうとか
シマウマの出身はどこだろうとか
トリビアな質問が脳裡を行き来した
ぼくは動物園でしかシマウマを見たことがないが
シマウマはいったいどこに住んでいるのだろう
ぼくら人間も動物の仲間だから
案外身近なところにシマウマはひそんでいるかもしれない
こんど町角でシマウマに出合ったら
シマウマの鳴き声や好物や趣味や出身地や
いろんなことをたずねてみよう
シマウマくん そのときはよろしく

そんな夢想にあけくれるうちに
Y先生のトークショーはエピローグを迎えたが
ぼくの心はちぐはぐなままだった
このつぎY先生にお目にかかることがあれば
シマウマに気を取られぬよう用心しなくてはなりませぬ
シマウマくん そのときはまたよろしく


〔備考〕
 詩人 八木幹夫さんを講師に迎え、「詩人・辻征夫さんの思い
出」と題したトークイベントが、2010年9月11日(土)に
名古屋・本山駅近くのシマウマ書房で開催されました。

   *   *   *

関連リンク

名古屋シティマラソン
名古屋の古書店 シマウマ書房
| 詩とその周辺 | 13:52 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
詩「さよなら『トリック』」──差別語を宣伝しつづけるドラマ(映画)『トリック』について
 けさは6時過ぎランニング開始。高蔵橋─西高蔵─旗屋橋─国際
会議場西─御陵橋─旗屋町経由、35分ほどのランニング。

 きょうから9月。とはいうものの名古屋の朝の最低気温は27度。
残暑はきびしいけれどランニングシーズンまぢか。そろそろこの秋
どのマラソンレースに申し込むか決めるとき。

 さて秋の気配を感じつつ、新たな一歩を踏み出すにあたり、ずっ
と頭を悩ましてきたことに、ひと区切りつけたいと思う。

 それはドラマ・映画における差別語の使用に関するものである。

 差別や偏見をよろこんで受け入れる人はいないと思う。

 差別語を宣伝文句に使用するドラマ(映画)『トリック』を取り
上げ、詩「さよなら『トリック』」としてまとめた。

 はじめに詩を書き、そのあとでいま考えていることを補足する。

   *   *   *

   さよなら『トリック』
    ──N・Yさんに

                        堀場康一


ありがとう でも さよなら『トリック』
こんな風に書くと大好きなあなたに嫌われるかもしれないが
映画『トリック 劇場版2』が二〇〇六年六月に
最後の『トリック』として封切られたとき
ぼくはほっとしたものだ

あなたの演じる山田奈緒子のキャッチフレーズが「貧乳」と知ったのは
その一年ほど前
あなたと二重写しになりひどく心が痛んだ
いまもそれは尾を引いている
「貧乳」は明らかに差別語
乳房をけなし見下し貶める言葉
人のからだで「貧」のつく熟語は「貧血」のほかに
「貧乳」くらいしか思い浮かばない
乳がんのような病気がなく健康であればいいはずなのに
どうしてこんなひどい言い方をするのかぼくにはわからない
この世に完全無欠な人間などいないから
ときには何気なく差別語を口にすることがあるだろう
しかしそれが主人公のキャッチフレーズになり宣伝に利用されたら
もはや手に負えなくなる

奈緒子役を演じるにあたり
あなたにも葛藤があったにちがいないが
あなたの演技が評判を呼び現在につながっているのだろう
ぼくらはテレビや映画を見ながらあなたを応援し
いつのまにか『トリック』の輪に仲間入り
『トリック 劇場版2』は海と空と島と山がきれいで
上田と奈緒子の筐神島・富毛村探検は奇想天外でおもしろかった
なかでも佐和子と奈緒子のトリック合戦は見どころが多かった
その一方で
試写会の舞台挨拶やテレビCMで「貧乳」が話題になり
『トリック』自体が「貧乳」を宣伝する場と化した
差別をなくすにはまず差別語の使用をやめないといけないが
テレビや映画を通じ日本中に広まった「貧乳」の話を
すべて拾い集めて消滅させるのはむずかしい
無力な自分がとほうもなく悲しいけれど
風化するのをじっと待つ以外に方法はないのか
──その後二〇一〇年五月に
新作『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』が封切られたが
ぼくは見なかった
映画を見ること自体が差別語の宣伝につながるからだ

あなたの二十代はドラマ『トリック』そのもの
十年にわたり奈緒子を演じ「貧乳」呼ばわりされても
平気な顔で演技しているようにみえる
ぼくにはそれが不思議だったが
その理由がいくらかわかったような気がする
ガラスの人形のような表情の希薄な演技
と評したら あなたは顔をしかめるかもしれないが
ほかにいい言葉が浮かばない
あなたの両親がどんなに心配顔で遠くから見つめているか
思いめぐらしたことがあるだろうか
あなたと同世代の女性たちが
職場や学校で「貧乳」とののしられたら
どれほど傷つき苦しむことか
思いを馳せたことがあるだろうか
女優である前に両親の子どもであることを
女優である前に人間であることを
女優である前に女性であることを
ときには思い起こしてほしい

視聴率や損得や商業主義をかくれみのに
女性に対する差別や偏見を長年もてあそんだ
『トリック』の代償は計り知れない
いまは そして 将来も
台詞や脚本やスタジオや撮影現場や
ドラマや映画やパンフレットやノベライズ本や
CMや広告宣伝やDVDやホームページに
「貧乳」ギャグや「貧乳」という言葉が一切登場しないことが
必要条件だ
ぼくはいくつになっても出口の見えない愚か者だが
自分の気持ちに正直でありたい

いつかラッキー・マリアのように幸運の女神が訪れて
あなたが『トリック』の衣をすべて脱ぎ捨て
一人の演技者として成長し 生まれ変わることを
ぼくは心底願っている
その日が来るまで
さよなら
さよなら
さよなら『トリック』


 備考 映画『トリック 劇場版2』(堤幸彦監督)
              2006年6月10日公開
    主要登場人物
      山田奈緒子役 仲間由紀恵
      上田次郎役 阿部寛
      筐神佐和子役 片平なぎさ 他
    主題歌 Joelle「ラッキー・マリア」
    製作 テレビ朝日・東宝株式会社


2006年9月8日 初稿。題名は「『トリック』─さよならそしてこんにちは」。
2010年9月1日 改稿。題名を「さよなら『トリック』」に変更。
2010年9月6日 字句を一部修正
                           以上

  *   *   *

 4年前に書いた詩「心にシール」のなかで、ぼくは次のように記
した。

# ぼくらはからだを見下していないか
# からかいの種にしていないか
# ぼくらのからだは両親から授かったもの
# ぼくらのからだは両親から受け継いだもの
# どれ一つ貧しいものはなく
# 豊かさにみちている

 あれから4年たったが、事態はあまり変化していないように見受
けられる。

 ドラマにおける差別表現は、放送倫理・番組向上機構(BPO)
のような機関で検討されているはずだが、どうやら検討されている
のは、膨大な数のドラマの一部のみ。刑事事件や民事事件にならな
い限り、あれもこれも手が回らないのかもしれない。

 上記の詩「さよなら『トリック』」で取り上げた差別語「貧乳」
は、BPOでまだ取り上げられていない差別表現の一つと思われる。

 いくつかの辞書で調べると、「貧乳」の中の「貧」には「粗末で、
劣っていて、みすぼらしい」という意味が含まれる。どれも否定的
な意味ばかりで、肯定的な意味はまるで見当たらない。

 したがって、
 「貧乳」とは「粗末で、劣っていて、みすぼらしいオッパイ」
 というような意味になる。

 つまり「貧乳」は、対象となる乳房を否定する、正真正銘のひど
い差別語だといえよう。

 ぼくが二十代の頃(1970年代)においても、女性の胸の大小
はテレビや週刊誌などマスコミの話題にのぼったが、「貧乳」とい
う差別語は登場していなかったように思う。

 世の中で差別語といわれることば(単語・用語)には、歴史的・
社会的に差別の意味をもつようになったことばが多いようだ。

 「貧乳」のように、ことば自体に差別的・否定的な意味が含まれ
る差別語は、あまり例がない。

 「貧乳」という用語をだれがどこで使い始めたか定かでないが、
大々的に「貧乳」を宣伝したのは、テレビドラマ『トリック』と思
われる。

 この差別語が、『トリック』のドラマや映画を通じ、2000年
以来、十年ものあいだ広告・宣伝され続けてきたことは、さびしく、
悲しい。

 『トリック』はテレビ朝日および系列局で放映されてきたが、ド
ラマの企画・製作スタッフたちは、2000年の放送開始当初から、
「貧乳」が差別語であることを承知していたのではなかろうか。そ
して視聴率獲得を狙って、あえて「貧乳」をヒロインのキャッチフ
レーズに選んだのではないか。ところがドラマが思いがけなくヒッ
トしたことで、「視聴者にすべてが受け入れられた」と勘違いし、
結果的に差別語をそのまま使うことにして今日に至っている。──
おそらく真相はそんなところではなかろうか。

 ヒットし、視聴率が高かったからといって、ドラマの中身すべて
が社会的に許容され、受け入れられたわけではない。

 じっさい、差別や偏見をよろこんで受け入れる人はいない。

 『トリック』がヒットした理由は、差別語と関係なく、他にある
はずだ。

 企画・製作スタッフはじめ関係者は、そこを誤って解釈し、差別
語「貧乳」をそのまま引き継ぎ、おおっぴらに宣伝しつつ、それ以
降の『トリック』シリーズを製作しつづけてきたのだろう。

 ヒロインの仲間由紀恵さんは、意図するとしないとにかかわらず、
差別語「貧乳」の宣伝ウーマンになった。

 途中でやめることもできたはずだが、結果的に、その宣伝ウーマ
ンをずっと続けてきたことになる。

 差別されるものが、差別を受け入れ平然と振舞うことで、さらな
る差別を引き起こすというのは、よく聞く話だ。

 たとえばエーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』は、そのよう
な差別・抑圧・搾取の連鎖・伝播が一つのテーマになっている。

 5年ほど前『トリック』ホームページを閲覧中に、仲間由紀恵さ
ん演じる山田奈緒子のキャッチフレーズが「貧乳」であることを知
った。仲間由紀恵さんを応援する一人としてショックを受けたが、
それ以来差別語について頭を悩ませてきた。

 これまで公然と触れなかったのは、ぼく自身の考えがまとまらな
かったこともあるが、『トリック』の関係者(テレビ局、製作スタ
ッフ、出演キャスト他)の評価・仕事になんらかの影響を与えるか
もしれないという危惧があったからだ。

 そうこうしているうちに、今年5月の『劇場版TRICK 霊能
力者バトルロイヤル』封切に合わせて、『トリック』(ドラマ・映
画)の十年分が一挙にテレビ(テレビ朝日系列、名古屋はメ〜テ
レ)で再放送されたのをテレビ番組表で知り、あらためて差別語に
ついて考えている。

 引き延ばしたり言い訳しているばかりでは、何事も解決しない。

 というわけで、日記に書くことにした。

 ぼくにとってこれははじまりにすぎないし、一歩一歩もっと進ま
なければいけない。また、ぼく自身これまでの人生を振り返って、
反省すべきことは多い。

 テレビについていえば、世の中の差別や偏見を告発するというよ
うな番組でないかぎり、差別や偏見(差別や偏見を伴うことばを含
む)をいたずらにもてあそぶのはやめてほしいと思う。


付記
 ぼくがリアルタイムで見ることのできたのは次の2つ。
・ドラマ「トリック新作スペシャル」2005年11月13日放送(メ〜テレ)
・映画『トリック 劇場版2』(映画館にて)
 なお映画『トリック 劇場版』がテレビの再放映で見られた。


追記(2010年10月3日)

 この詩でとりあげた、差別語「貧乳」にまつわる女性差別は、小
さな差別にみえるかもしれない。
 しかし、小さな差別は大きな差別のはじまりであり、小さな差別
をなくすことができなければ、大きな差別をなくすことは到底無理
である。
 差別を受け入れない、差別を容認しない、差別を見過ごさない。
──そういう気持ちを持ち続けたい。決してたやすくはないが、そ
ういう気持ちを持ち続けたいと思う。
 仲間由紀恵さんはヒロイン山田奈緒子役を演じることで、意図す
るとしないとにかかわらず、結果的に差別語「貧乳」の宣伝ウーマ
ンになった。彼女が女性差別を助長しかねない役柄を十年も演じつ
づけたことの代償と試練は計り知れない。
 女優であれ誰であれ、女性が女性差別を助長するような行為に加
担したら、取り返しがつかなくなる。
 仲間由紀恵さんを応援する一人として行く末が気がかりだが、差
別(差別語)に対して知らん振りしつづける<ずるい人間>になら
ないように願っている。


関連リンク

放送倫理・番組向上機構(BPO)
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』 ノート
詩「心にシール」
| 詩とその周辺 | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
詩作について。五十代の詩で詩集を編む。
 けさは6時すぎ早朝ランニングスタート。

 連日暑い日がつづく。夜中も暑くて寝苦しい。
(ちなみに、いまこの日記を書いているぼくの部屋は、夜になって
も35度ある。)

 が、いったん走りはじめれば、いつもと大して変わりない。マイ
ペースで走るだけ。

 大通りへ出て南下し、堀田から呼続大橋へ向かう。千竈通1交差
点を左折し、薬師通を走り抜ける。桜本町交差点を北上し、新瑞橋
経由で、帰途に着いた。

 しばらくつづいた右膝の違和感が、どうやらおさまった感じ。

 あとで距離をチェックしたら約7.2km、39分かかった。

 ランニングのペースは時速11km。

 ハーフやフルマラソンに挑戦するには、20kmコースを何回も
(少なくとも2週間に1回くらい)走る練習をしないといけない。

 60歳になった記念にフルマラソンに挑戦するのもありだから、
気合を入れていこう。

   *   *   *

 60歳を機に、五十代に書いた詩のなかから選んで、手作り詩集
(2冊組)を編んだ。

  堀場康一詩集
 『青空詩集 五十奏』及び『青空詩集 スロースタート』

 調べてみたら、五十代の十年間(2000〜2009年)で九十
数編の詩を書いた。詩を書き始めて四十年近くになるが、この十年
間がいちばん多くの詩が書けた。ミニコミ誌への投稿や詩の朗読会
への参加が刺激になったような気がする。

 その九十数編の詩から十五編ずつ選んで、二つの詩集を編んだが、
収録詩を決定するまでに『青空詩集 スロースタート』は二年くら
い、『青空詩集 五十奏』は一年くらいかかった。

 詩の取捨選択を繰り返しながら、自分で自分の詩を選ぶ、つまり
自選詩集を作ることがいかにむずかしいか、思い知らされた。

 手作りで、ぼちぼち詩集を作って、お世話になった人たちを中心
に差し上げたいと思う。

 できることなら、手作り詩集でも自費出版でもなく、詩集の出版
社から自分の詩集を出してもらえるようになりたい。が、そのよう
な形での詩集の出版はハードルが高く、容易に実現できることでは
ない。

 とはいえ、望みは望みとして持ち続け、いつかチャンスをとらえ
たいと思う。

 ぼくが詩に表現しようとしているものは、昔も今もあまり変わら
ないような気がする。

 詩のテーマの一つは「恋歌(ラブソング)」。もう一つは「哀愁
波止場からの船出」のようなものである。

 「ラブソング」といっても、年齢や年代によって、あるいは自分
のおかれた状況によって、表現の仕方が微妙に変化するようだ。

 昨日厚生労働省が発表した「平成21年簡易生命表の概況につい
て」によれば、2009年(平成21年)の日本人の平均寿命は、
女性が86.44歳、男性が79.59歳とのこと。

 とすれば、人生はまだ長い。これからどんな人生が待ち受けてい
るか、どんな人生が切り開けるか、期待しつつ生きていこう。

 もう一つの「哀愁波止場からの船出」は、個人的というより社会
的な目標かもしれない。

 沖縄に集中している米軍基地をはじめ、「哀愁波止場」が日本や
世界のあちらこちらに横たわっている。

 その「哀愁波止場」からいかに船出し脱却するかが、ぼくの絶え
ざる課題の一つである。

 二十代後半、東京・荻窪のアパートに住んでいたときに書いた詩
「おとぎの国」のなかで、「哀愁波止場からの船出」に触れたこと
がある。

 そのときからどのていどぼく自身成長したか、世の中が進歩した
か、必ずしも判然しない。

 その一方で、現状に全く問題がないわけでない。たえず問題がつ
きまとい、課題は山積している。

 「哀愁波止場からの船出」は抽象的ないい方だけれど、ぼくとし
ては、哀愁波止場にとどまってばかりいてはいけない、ということ
を言いたい。

 その上で、詩の世界を組み立てるという、大きな命題がある。

 ぼく自身、詩の世界は必ずしも明瞭なイメージで現れていないが、
これからも詩作の旅をつづけたい。

関連リンク

厚生労働省:平成21年簡易生命表の概況について(2010年7年26日報道発表資料)
詩「おとぎの国」
| 詩とその周辺 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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