ランニングスタートで日々前進

日課の早朝ランニング、運動と健康管理、詩や芸能、
日々気のついた出来事を記しています。
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立ち尽くす、寄り添う、ささえる。
けさは6時過ぎランニング開始。

 熱田陸橋を越え、旗屋町交差点から、熱田神宮へ行った。参拝の
人がちらほら来ていた。ぼくもお参りし、熱田さんを後にした。

 帰りは神宮前駅南の地下道をくぐり、新開橋経由で帰路についた。

 夏らしい暑さが続いている。夏負けしないよう、暑さ対策と水分
を十分とって、残暑を乗り切りたいものだ。

 さいきん日記を書くのがおろそかになっている。

 何も書くことがないというわけではない。

 ささやかではあるが、日々さまざまな出来事が身の回りに起きる。

 ぼくのいちばんの関心事は、人間関係にまつわること。

 人間関係のありかたについて、日々思い巡らしている。

 人間関係、とりわけ家族や身近な人たちとの関係は、

   立ち尽くす、寄り添う、ささえる、

 この三つに集約されるような気がしている。

 ことばにすれば簡単だが、要は、日常生活においてどこまで実践
できるかということなのだろう。

 人生はこれからまだ長いが、そのことを念頭において日々暮らし
て行こうと思う。


関連リンク

詩「ささえあう」
| いのちと愛と人間関係 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
自分を中心におかない(自己中心的でない)考え方・生き方
 まずは俳句を一つ。

   蝉時雨に包まれて朝心地よし

 けさは6時すぎウォーキングに出かけた。

 緑の並木を歩くと蝉の鳴き声があたり一面に響いて、心地よい。

 走るのと歩くのとでは行動範囲が大きく違う。

 歩いて行かれる範囲は広くないが、こつこつ歩けば、それなりに
あちらこちらへ出かけることができる。

 少し軽く走ったが、右足の大腿部が痛むので、すぐにウォーキン
グに逆戻り。

 ランニングできるようになるまでには、もうしばらくかかりそう
だ。

 ランニングできないのはさびしいけれど、仕方がない。

 けさは北京オリンピックの番組で、「仮面ライダーキバ」の放送
は休みだった。

 なんとなく物足りない日曜の朝だ。


 一つ気になっていることを復習しておく。

 ある物事に対し、自分が平気であっても、他人(他者)が平気で
ない場合がある。
 その逆に、ある物事に対し、他人(他者)が平気であっても、自
分が平気でない場合がある。

 これから言えるのは、

 自分の判断・判定の基準を、他人にそのまま当てはめないほうが
よいということである。

 ちまたでは、

 自分が平気だから、他人も平気なはずだ。
 自分が耐えられるから、他人も耐えられるはずだ。

 という話をしばしば耳にする。

 しかし現実の人間関係では、いじめやセクハラをはじめ、

 自分が平気でも、他人が悩み苦しんでいる場合はよくある。
 自分が耐えられても、他人が耐えられない場合はよくある。

 他人といっても、とくに、同世代の同性の人たちがどう思ってい
るか推し量り、知ることは、とても大切だと思う。

 ぼくはこれまで、
「自分が平気だから、他人も平気なはずだ。
 自分が耐えられるから、他人も耐えられるはずだ。」
 というような調子で、行動することが多かった。

 とくに二十代、三十代の頃は、自己中心的の度が過ぎた。

 そのような、自分を中心におく考え方・生き方は、おしつけがま
しいと同時に、いずれ行き詰まる。

 かくいうぼくも行き詰まりを経験した。いまもその延長線上にい
る。

 「自分を中心におく、自己中心的な考え方・生き方」は、いつも
自分が主役でありたいという欲求から、生まれるのかもしれない。

 本当をいえば、自分が主役であることは簡単だ。

 その反対に、「自分を中心におかない、自己中心的でない考え
方・生き方」は容易ではない。簡単には見つからない。

 一例として、テレビドラマをみてみよう。

 自分が主役でないとしたら、どこへ行けばいいのか。

 脇役か、エキストラか、控えか、サポーターか。

 主役─脇役─エキストラ─控え─サポーター、という分け方をし
たときに、

 人はどの役割も演じることができる。

 どの役割を演じても、人は人であることができる。

 主役であるとか、脇役であるとか、エキストラであるとか、控え
であるとか、サポーターであるとか、そういう役割は表面的なもの
だ。

 主役である前に、脇役である前に、エキストラである前に、控え
である前に、サポーターである前に、

 人は人である。

 人間であること、男であること、女であること、そこが出発点だ。

 テレビドラマを見ていて、俳優・役者が、
 人間であること、男であること、女であることを忘れている例を、
 たまに見かける。

 そういうドラマは、人間性からほど遠い。

 人間性からほど遠いドラマでも、視聴者を惹きつけ、視聴率が上
がる場合がある。視聴率が上がれば、スポンサーがつく。ビジネス
になる。だったらシリーズ化してもっと続けようということになる。

 つまり、人間性からほど遠いドラマでも、ビジネスとして成立し
てしまう。

 ドラマの制作・提供者としては、
 「ビジネスになれば問題なし」ということで、
 人間性をないがしろにしたことがいつのまにかうやむやにされて
しまう。

 そして人間性が隅へ追いやられ、差別・偏見・劣等感・優越感
(を伴う言葉)が、ドラマを通じて大々的に宣伝される。

 そうこうするうちに、そのような差別・偏見・劣等感・優越感
(を伴う言葉)が当たり前に人々の話題に上り、語られるようにな
る。

 ドラマに限らず、そういうことが繰り返されている。

 これに対して、どうすればよいか。どんな対策があるのか。

 残念ながら、ぼくに名案はない。

 一ついえるのは、

 差別・偏見・劣等感・優越感(を伴う言葉)をもてあそび、振り
回し、大々的に宣伝するものは、いつかばちが当たるということで
ある。

 いつ、どんな形で、ばちが当たるか、それはわからない。

 だが、いつかばちが当たる。

 人間の歴史はそれの繰り返しだったような気がする。

 だからこそ、

 人は人であり、
 人間であること、男であること、女であることを肝に銘じて生き
る必要がある。

 かくいうぼく自身、足りないところは多い。

 ばちが当たらないよう、日々反省し、生きていくよりほかにない。
| いのちと愛と人間関係 | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「親の心子知らず」と、親(父母)を安心させる生き方
 梅雨が明けて、日曜の朝、けさは6時すぎ外出。

 ランニング開始といきたいところだが、まだ走れない。

 近所を30〜40分ウォーキングしたが、あちらこちらで蝉時雨
がにぎやかに聞こえてきた。

 足の痛みがややおさまった。

 この調子ならあと数日でふたたび走れそうな気がする。

 はやく走れるようになりたいと思う。


 先日(7月1日、7月4日)の日記で、「親の心子知らず」とい
うことわざに触れた。

 ひきつづき「親の心子知らず」というのが、頭から離れない。

 ぼくは十八のとき親元を離れて名古屋から上京し、二十代はずっ
と東京で暮らしていたが、当時は親の気持をあまり考えたことがな
かった。

 いつもひとりよがりというか、自己中心的に生きていた。

 そのことが悔やまれてならない。

 五十を過ぎてようやく、親の心のありがたさがわかってきた。

 気づくのがあまりに遅い気もするが、取り返しはつかない。

 父は二十年近く前に亡くなったし、

 母にはいまも世話ばかりかけているし、

 いまだに父母の恩に報いることはできていない。

 もしぼくが二十代のとき、「親の心子知らず」ということに多少
とも気づいていたら、事情は変わっていたかもしれない。

 いまならはっきり言えるが、

 30歳くらいまでに、自分の方向・やりたいことが決まっていな
いと、ただ仕事をつづけるだけで、いつか行き詰まる可能性がある。

 どの分野・業界でも、仕事は広範囲に及ぶ。そのなかから、あれ
もこれもでなく、あれかこれか目標を定め、仕事を絞り、それに力
を注いだ方がよい。

 いまの若い人、十代・二十代の人たちなら、「親の心子知らず」
について考える時間がいくらでもあるはずだ。

 そして「親の心子知らず」についてたくさん考えをめぐらして、

 親(父母)を安心させる生き方を見つけてほしいと思う。


 ぼくはいま、無自覚な生活を送った二十代の延長線上にいる。

 ぼく自身はいまさら過去へ戻れないので、

 これからの人生で、父や母の恩に報いる道をさがすのみ。

 いずれにせよ、人生はながい。

 これからもせいいっぱい生きていこう。

関連リンク

2008.7.1付日記
2008.7.4付日記
| いのちと愛と人間関係 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』と生きる理由
 けさは6時すぎランニング開始。

 資源ごみ置き場へ立ち寄って走り始めたが、右足が痛む。

 ひどい痛みではないが、思うように走れない。

 というわけで、だらだら走りとウォーキングのミックス。

 豊岡通を東へ向かい、瑞穂運動場西を北へ曲がる。

 瑞穂通をのろのろ北へ。瑞穂区役所まで行って引き返した。

 右足が直るのにもう少しかかりそうだ。

 無理をせず、できる範囲で、ランニングの練習を続けよう。

   *   *   *

 「生きる理由」というと少々大げさだが、折にふれて日記に書い
ている。

 人それぞれに生きる理由があるはず。

 一つ言えるのは、

   生きる理由はあるが、死ぬ理由はない、

 ということだ。

 死ぬ理由をさがしている人の話を聞くのは、かなしい。

 死んで解決できることはなにもない。

 生きて、からだを動かすことでしか、解決の糸口は見つからない。

 生きていれば、喜怒哀楽、いろんなことに出合う。

 喜怒哀楽があるから、生きていてよかったと思う。

 それともう一つ、最近頭に浮かぶのが、

 シェイクスピアの戯曲『じゃじゃ馬ならし』(The Taming of the
Shrew)。

 ずいぶん前になるが、映画版『じゃじゃ馬ならし』(1966)をテ
レビで見たような気がする。

 映画の内容はうろ覚えだが、「goo 映画」によればエリザベス・
テイラーがカタリーナ役で、リチャード・バートンがペトルーキオ
役で出演していた。

 ぼくはシェイクスピアの戯曲『じゃじゃ馬ならし』を読んでいな
いので、気の利いた議論はできないが、

 カタリーナとペトルーキオの二人の関係に興味がある。

 その興味は、ぼくにとっての生きる理由といくらかつながってい
る。

 どこまで他人の人生に深入りできるか、もしくは深入りしてよい
か、

 どこまで他人の生き方に影響を与えてよいか、

 そういう疑問がたえずぼくの脳裡に浮かび、反復している。

 世間にはさまざまな人間関係があるが、

 人生の伴侶というかパートナーであれば、お互いに深入りして、
影響を与え合うのは、当然のことかもしれない。

 上述のカタリーナとペトルーキオの関係はその一例といえる。

 もちろん、お互いに深入りし、影響を与え合うようになるには、
二人がつねに相手を信頼し受け入れる心づかいが必要となる。

 人生の伴侶と出会うには、ぼく自身、自分を磨き、生活を構築し
ないといけないことはいうまでもない。

 『じゃじゃ馬ならし』は他人の話でありながら、結局、わが身に
立ち返り、自分につきつけられることになる。

 人間関係における心構え、手続き、親しさの度合いなど、考え出
したら際限がないが、

 そういうことを頭の隅において、日々暮らしていこうと思う。

関連リンク

じゃじゃ馬ならし (1966) - goo 映画(日本公開は1967年)
The Taming of the Shrew (1967)(IMDb: インターネット映画データベース)
シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』 - Wikipedia
| いのちと愛と人間関係 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
岡部伊都子さんといのちのこと
 けさは6時すぎランニング開始。

 資源ごみ置き場へ立ち寄ってから、走り始めた。

 朝だいぶ暖かくなって、長袖Tシャツで走っているとちょっと暑
い感じだ。

 堀田から南へ、呼続大橋付近まで行った。

 それから山崎川沿道を走る。たまに川面にぷくぷくと泡が浮かぶ。
どうやら魚が泳いでいるらしい。

 名鉄の踏み切りで一時停止。上り下りの電車をやり過ごして、さ
らに東へ。

 新瑞橋を回って、帰途に着いた。

 三十数分のランニング。体調はまあまあだけれど、少しマンネリ
ズム。もっとめりはりをつけた練習をしないといけない。

 ところできのう(5月1日)の朝、新聞を眺めていたら、随筆家
の岡部伊都子さんの訃報が載っていた。享年85歳とのこと。ぼく
の母より少し上だ。

 岡部伊都子さんについては、だいぶ前おりおりのエッセーを新聞
で読ませていただいたこと、それから、岡部さんのドキュメンタリ
ー番組を以前テレビで見たくらいで、ほかにこれといって知識があ
るわけではない。

 が、岡部伊都子さんからいのちのことを教わったと、ぼくは思っ
ている。

 きっかけは、テレビドキュメンタリー「消えぬ戦世(いくさゆ)
よ 〜随筆家・岡部伊都子の語りつづける沖縄〜」(NHK ETV特集、
2004/08/28)を見たことだった。

 そこら辺の事情は、拙文「いのちは人から人へ伝えるもの─いの
ち、愛すること、人間関係」にまとめておいた。

 そのテレビ番組を見てから4年近く経ったが、岡部伊都子さんか
ら教わったいのちのことを、いまもときどき反芻している。

 ぼくがたどりついたのは、

   いのちは人から人へ伝えるもの
   いのちは人から人へ伝わるもの

 ということだが、そこが到達点であると同時に出発点かもしれな
い。

 いのちのことを教わり、感じ取ったものが、それを次に伝える。

 そういう作業が必要な気がするし、それがぼくの務めかもしれな
い。

 いのちは生々しい。いのちは泥臭い。

 けれど、いのちは偉大だと思う。

 人のいのちをさえぎり、断つ行為はすべて、いのちの連鎖をむな
しくする。

 ぼくは説教者でも伝道師でもないが、いのちのことを多少理解し
ているものとして、それをさらに伝える役目を負っているのかもし
れない。

 いのち、愛すること、人間関係は、ぼくにとって一生ついてまわ
るものだし、これからもくり返し思い、悩み、考えつづけるだろう。

 岡部伊都子さんから受け取り、頂戴したものは、当たり前のこと
とはいえ、ひじょうに大きく、重い。

 その大きさ、その重さにへこたれないように、これから生きてい
こうと思う。

 この場を借りて岡部伊都子さんのご冥福をお祈りします。

関連リンク

「消えぬ戦世(いくさゆ)よ 〜随筆家・岡部伊都子の語りつづける沖縄〜」NHK ETV特集 2004/08/28放映
いのちは人から人へ伝えるもの─いのち、愛すること、人間関係
| いのちと愛と人間関係 | 17:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
招き猫と、人のいのち。
 けさは6時すぎランニング開始。

 大通りを南下し、堀田へ行った。

 地下鉄堀田交差点から東へ折れ、新瑞橋へ向かった。

 堀田から新瑞橋まで(約1.3km)をタイム計測。

 5分59秒で、久しぶりに6分を切ってほっとした。

 しかし、よく考えてみると、この程度のスピードをずっと維持し
なければ、ハーフマラソンで1時間40分は切れない。

 ほっとしている余裕はない。

 新瑞橋から瑞穂ラグビー場を経て、山崎川の石川大橋まで行き、
帰路に着いた。

 けさも35分くらいのランニング。

 もっと早起きして、長く走らないといけない。

 だいぶ前の日記に招き猫のことを書いた。そこでも触れたが、

 招き猫は、
 右手を上げているのがお金を招き、
 左手を上げているのが人を招く、
 とのことだ。

 ぼくの家に招き猫が2つ(2匹?)ある。

 一つは、セントレア(中部国際空港)が開港する前の見学会のと
きに買った、招き猫の置き物。こちらは、左手を上げている。千客
万来という感じだ。

 もう一つは、母がパッチワークで作った猫のぬいぐるみ。こちら
は招き猫ではないが、両手・両足を動かすことができる。それで座
らせて、右手を上げたり、左手を上げたり、両手を挙げてバンザイ
させたりしている。

 人とお金を考えたとき、

 人が集まらなければ、お金だけあってもたいしたことはできない、
お金だけではどうにもならない、

 そう思うことが多くなった。

 やはり、人がすべてに優先するのだろう。

 人にはいのちがあり、人には暮らしがある。

 一人一人にいのちがあり、一人一人に暮らしがある。

 ぼくはお金のたくわえがないから、いまはあまり身動きできない
けれど、

 一人一人のいのちの大切さ、一人一人の暮らしの大切さは、わき
まえているつもりだ。

 きのう9月25日の記者会見での、鳩山邦夫法相の「死刑執行を
自動化しよう」という驚くべき発言を聞いて、

 あらためて、人のいのちについて考えた。

 先の厚生労働大臣が、女性を「産む機械」と名づけたが、

 鳩山邦夫法相の「死刑執行の自動化」はさらに過激かもしれない。

 死刑を待つ人たちのいのちのことを深く考えない、鳩山邦夫法相
という人は、いったいどういう人間なのだろう?

 身の毛のよだつ寂しさ・恐ろしさとは、こういうことを言うのか
もしれない。

関連リンク

招き猫ミュージアム(瀬戸市)
招き猫のこと(2006.10.4付日記)
| いのちと愛と人間関係 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人間性で行こう。
 けさは6時過ぎランニング開始。

 瑞穂公園へ行った。公園入り口の南児童園では20人くらいの年
配の人たちがストレッチ体操の最中。いつもながら元気がいい。

 それから陸上競技場横の長い坂を駆け上がり、田辺通へ出た。

 坂を上がるときに、その日の足の調子がだいたいわかる。

 きょうはまあまあというところ。気分はわるくない。

 田辺通を北へ走り、市大薬学部交差点を西に折れて、帰途に着い
た。

 11月23日開催の名古屋シティマラソンの参加申し込み受付が
もう始まった。あと二カ月半弱。こんどのハーフは少しでも時間を
縮めたい。練習を積んで、名古屋シティマラソンを迎えたいと思う。

 この前(9月8日)の日記で「五里霧中の人生」に触れた。

 五里霧中といっても、自暴自棄になるわけではない。

 目標に向かって進むことは可能だと思う。

 あとは自分の目標を見失わないようにすることだ。


 さて、最近はやりのことばに「品格」と「ランキング」がある。

 品格もランキングも評価が絡んでくるので、ぼくはあまり好きに
なれないが、

 品格やランキングで成り立つ分野・領域もあるので、それはそれ
でよしとしよう。

 ぼくは、品格とかランキングとかに関係なく、人間性そのもので
行こうと思う。

 人間性というと大袈裟に聞こえるかもしれないが、

 それほど大袈裟な話ではない。きわめてありふれている。

 品格やランキングを持ち出して他人(他者)を一つ一つ評価する
のでなく、

 自分の人間性をさらけ出して生きていく、

 というようなことだ。

 (「私たち一人一人に他人(他者)を評価するだけの資格がはた
してあるか」という問題は残るが、ここではこれ以上触れない。)

 あちこちで、やたらと「品格」や「ランキング」が登場するので、

 ぼくは「人間性」にこだわって生きて行こうと思う。


 きょうは9・11。

 2001年9月11日の米国での同時多発テロ攻撃から6年経過
した。

 6年経ったが、9・11同時多発テロ攻撃の前と後で、政治・経
済の体制が大きく変化したとは、ぼくには思えない。

 小手先の議論をくりかえしているような気がしてならない。

 米国でも日本でも似たようなものだ。

 かといって、ぼくも大きなことはあまり言えない。

 遅々たる歩みだが、6年前よりは少し見通しが明るくなった気が
する。

 生活は依然きびしいけれど、自分の将来は見通しが明るい、

 そう思いたい。

 そう思いつつ、そう願いつつ、日々走り続けよう。
| いのちと愛と人間関係 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

+ 東日本大震災で被災された皆様に普通の生活が戻りますように、一日も早い復興・復旧を心からお祈りいたします
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